Reviews and Interviews:2023 「型破りの予感」 マシュー・ラーキング 同志社大学 准教授

型破りの予感 「作品がどう作られているかに着目することは、その本質的な意味を理解するための前提
条件なのかもしれない」(1)

20世紀に形象美術がモダニズムの価値観と抽象的概念へ屈服し始めると、優れた技芸は 必要とされず、その価値が危機的に低下するという現象が伴った。ハイモダニズムを追求 するあまりに投棄されたものの殆どは20世紀の後半に現代美術の為に回収されたが、技 芸への関心は大抵そこに含まれなかった。

それは明らかに現代の墨絵画家を束縛することになった。墨絵の技芸は、往々にして対極 的だからだ。伝統的と位置づけられると、墨絵画家は通常は自然に基づいた素材を追求し ながら型にはまった材料を使用し、熟練技術の実践を求められる。一方、現代的と位置づ けられると、部分的としても、これらを捨て去るか一変させることを期待される。

フリント・サトはそこに別の可能性を提案する。墨絵の道具や材料に拘り、何十年もかけ て様々な状況でこれらがどのように共生するのかを研究し、独自の技法を追求した。芸術 的なスキルは一旦取得すると、創作の目的より手段として自由に操ることができる財産と なる。そうなると過去から受け継いてきた墨絵の教えや見せ方に敬意を払う、もしくは放 棄するということではなく、行為のようなものである。この考えは芸術的な素材や過程に 伝統的な手法を追求する東アジア出身ではないフリント・サトに、様々な権限を与える。 例えば、和紙を錆びた鉄と埋めた後に掘り起こす(2005)。墨を炊いて(2008)、表面に浮いた ものを美しく画像に記録する(2011)。般若心経を英文で手描き(2015)すると同時にそれを抽 象的に広がる水面の動きに見せる。『Now』」と書く様子の動画パフォーマンス(2015)。そし て墨を現代的なフォーマットで抽象的に扱うインスタレーション作品『Boat of Dreams(夢 のボート)』(2017)では、作品の和紙を江戸時代の校舎の天井から吊るした。

フリント・サトは書道を始めて墨を扱うようになった。最初は書道を意味が詳しくわから ない漢字の集まりの抽象芸術のように捉えていた。1982 年から 92 年、10 年間学び続け、 その後の抽象的な墨作品において極めて重要となる概念を得ることとなった。動き、外形、 線、輪郭、空間、連結と連続体である。

それに重ねて、フリント・サトが書道家から墨絵画家へと転向するきっかけとなる極めて 重要な出逢いがあった。1948 年生まれの李華弌(リー・ファイ)の現代的な山水画を取り 上げた動画を見て、ある技法を知ることとなる。李は、まず具象画の背景として紙に墨を 流し、その上から具象的な要素となる線を筆で入れていくことが多い。これを見て、フリ ント・サトも墨を流す、滲ませる、漉す、滴らす、時には噴霧することで創作的な可能性 が新たに生まれると気付いた。李の形象が彼女の傾向となったわけではないが、質感や細 部は後に加えることができることを知る。

フリント・サトが最も好んで使う材料は「文房四宝」の墨、筆、硯、紙だが、『Cloud Dust (雲ほこり)』(2020)のように、限られた水性アクリル絵の具の色彩を取り入れ、表面をほのかにザラつかせることもある。初期の作品は掛け軸一本の形だった。以降、『Islands Flow (島の流れ)』(2017-18)のように大きい墨絵を何本かの掛け軸に渡るように作る方法に行き ついた。現代芸術のテーマやジャンルの概念も境界を超えることが重要視されるなか、フ リント・サトの何本かの掛け軸に渡る作品も、通常は東洋の形式と思われる地理的且つ文 化的な境界を超えたものとして、その動きと協和している。

彼女の作品作りの過程としては、まずはスケッチブックにデザインを考え、床に広げた和 紙に竹の棒に墨をつけて構図をスケッチする。棒を使うことはフリント・サトにとっては 「非伝統的」な行為への譲歩である。棒だと比較的「中立的」な線が生まれる。筆ででき る線は瞬時に「表現に富む」ので、最初は望ましくないそうだ。その後、墨を流し、紙の 上での流れ方、溜まり方、滲み方に反応するように水を加えていく。その意図は、自分の 創作材料を完全に操作せず、対話をするためである。墨の動き、秘法、色の変化、立体的 に見える効果を押し付けて結果を出したくないのである。墨と和紙が半乾きの状態で、更 に層を加えていく。そして完全に乾くと、墨を流して層になった部分に面相筆で細かい線 で質感を出していく(主に水と墨を流し、少しだけ筆で線を加えたのみの作品もある)。

上の過程の始まりと終わりは、画家フリント・サトの概念も完結させる。初めに墨を流す と巨視的世界が生まれる。墨を流し、層が重なることで外形が作られ、線の概念として連 想されがちな写実的なミニマリズムとはかけ離れた表面やそれを覆うベール、もしくは彫 刻的な起伏として現れる。そして質感となる細かい線が加わると、補うように微視的世界 が生まれる。従来、外形は内側の構造をとじこめるものとして考えられるので、フリント・ サトは、最初に流した外形を細かい線によって開く。内側の空間に入り、その微小な存在 に肉付けする。そうすることで、外形を覆っていたベールが取り払われ、内側の生命体が 露わになる。この巨視的且つ微視的な世界が合わさることこそが、フリント・サトにとっ ての現実の総合的見解なのだ。

Matthew Larking (マシュー・ラーキング)
同志社大学 准教授

(1) Svetlana Alpers, Rembrandt’s Enterprise: The Studio and the Market (Chicago: The University of Chicago Press, 1990), p. 8.

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